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【京都】神と仏の都【9,12,11】

簡略記事で済ませようと思ったのですが、それでも長くなってしまったので1日ずつ別けます。

参拝寺社:本能寺、壬生寺、広隆寺、北野天満宮、下鴨神社
そ の 他 :二条城、八木邸(レポートはありません)




本能寺

本能寺 本堂  信長廟所  本能寺 御朱印

創建:1415年
山号:(無し)
開山:日隆聖人
宗派:法華宗(大本山)
本尊:南妙法蓮華経曼荼羅

 明智光秀の謀反によって織田信長が自害したことで有名な本能寺は、御池通りを隔てた京都市役所の真向かいにある法華宗の大本山です。商店街の入り口にいきなり空気を読まずイカツイ総門が出現するのは、なかなかにインパクトがあります(笑)。とはいっても、信長が自害した本能寺は今の場所ではなく、四条烏丸から少し歩いたところにありました(現在、そのあたりには浄土真宗の佛光寺がある)。現在の場所には江戸時代の天正10年、豊臣秀吉の命によって移転しました。この本能寺の「能」ですが、正しくは右側を「ヒ」ではなく「去」で書きます。これは、本能寺が幾度も火災に見まわれた(今日に至るまで実に4度)ことを受け、「ヒ(火)」が「去」る、という縁起担ぎから生まれた創作漢字です。当然、変換しても出てきません。
 境内にあるお堂は、本尊の南無妙法蓮華経曼荼羅を安置する本堂のみ。寺町商店街から入ると、すぐ右手に大賓殿という建物がありますが、これは平成10年に法華宗開宗750年を記念して建てられた宝物館です(今回は時間の都合で入れませんでした)。もっとも、観光客のほとんどが目当てにしているのは、本堂の裏手にひっそりと佇む信長の御廟で、むしろ観光目線で見ると本能寺の唯一のチェック・ポイントと言えるかもしれません。この御廟は信長の三男、信孝の依頼によって建てられたもので、信長が所持していた太刀が収められています。この他、江戸時代に名を馳せた文人画家、浦上玉堂の廟所もあります。
 御朱印は境内左手にある寺務所で小僧さんに書いていただきました。中央にデカデカと織田家の家紋である木瓜をが捺してあったり、右下にもちゃっかり「信長」の名を使ってくるあたり、納経証明というよりは記念スタンプのような印象が強い御朱印です。



壬生寺

壬生寺 本堂    水掛け地蔵    壬生寺 御朱印

正式名称:宝憧三昧寺
創   建:991年
山   号:(無し)
開   山:快賢僧都
宗   派:律宗
本   尊:地蔵菩薩立像

 壬生寺が有名になったのは、言わずもがな幕末の志士・新選組によるところしょう。新選組の兵法修練場として使われた律宗の壬生寺は、四条大宮から西へ歩いて行くとあります。境内には本尊の延命地蔵菩薩立像を安置する本堂の他に、洛陽三十三観音の第28番、十一面観世音菩薩を安置する中院、中には入れませんが千体仏塔、京都十二薬師の第4番、歯痛止薬師を安置する阿弥陀堂と、その奥に続く新選組隊士11人の霊をまつる壬生塚などがあります。特に壬生塚は、少女漫画やライト・ノヴェルの題材になることの多い新選組の局長、近藤勇の胸像があり、それを目当てに若い女性も訪れるそうです(実際、何名かいらっしゃいました)。ちなみに、新選組の屯所として使われていた八木邸・前川邸もここからすぐの場所にあり、八木邸は年中、前川邸は土日のみ一般公開されています。そのため、壬生寺にお参りしたあと八木邸を見学し、八木家が切盛りする京菓子店・鶴屋でお茶をいただき(ここは拝観券と一緒にお茶券がもらえる)、前川邸を見学していく、というのが“腐”なお嬢様がたのモデル・コースとなっているようです。
 御朱印は本堂右手にある納経所でいただきました。女性の職員さんが書いてくださいましたが、武士ゆかりの寺院なのか、意外と骨太な筆運びです。印は中央がお地蔵さんで左下が「壬生寺印」。地蔵菩薩のほかに、先述した観音菩薩と薬師如来の御朱印も、こちらで全ていただけます。




広隆寺

広隆寺 桜門  広隆寺 上宮王院太子殿  広隆寺 御朱印

創建:603年(611年の説もあり)
山号:蜂岡山
開山:秦河勝
宗派:真言宗(大本山)
本尊:聖徳太子像

 京都最古の寺といわれる広隆寺(正しくは「廣隆寺」と書く)は、太秦にある真言宗の大本山です。嵐電の太秦広隆寺駅で降りれば目の前、という優遇されまくった立地のわりに、参拝者はそれほど多くありませんでした。広隆寺といえば何をおいても国宝・弥勒菩薩半跏思惟像であり「ははぁ、境内はこんなんだけど、きっと霊宝殿に集中してるんだな」と思っていたのですが、その霊宝殿もビックリするぐらいガラガラで何とも肩透かしな気分。まぁ、そのぶん邪魔されずに特等席で弥勒菩薩像をじっくり鑑賞できたので、個人的には何の不満もないのですが……大丈夫なのか、この寺?(笑)ほっそりとした体躯で半跏に座し、中性的なハンサム・フェイスで思想にふけるそのお姿は、なるほどカール・ヤスパースが絶賛しただけある芸術作品です。かつては金箔で覆われていたそうですが、ぶっちゃけ素地のままのほうが余計な物を削ぎ落した美しさが引き立っていると思います。霊宝殿にはこの他にも「泣き弥勒」の通称で有名なもうひとつの弥勒菩薩半跏像、全高26メートルの巨大な千手観音立像、霊宝殿の両壁に居並ぶ様が壮観な十二神将立像群(以上全て国宝)などがあり、時間が許すなら2,3時間は平気でとどまってしまいそうでした。広隆寺には全20の国宝があり、目立たないですが本堂右手前にある講堂に安置される阿弥陀如来坐像もまた国宝です。なお勘違いしている人も多いのですが、現在の広隆寺の本尊は聖徳太子像であり、霊宝殿も本堂ではありません。
 御朱印はその霊宝殿のチケット売り場で女性の職員さんに捺していただきました。はい、これ日付以外は墨書も含め全てスタンプです。京都でこういう手抜き朱印をやられたのは、天龍寺に次いでここが2ヶ所目。俺は「御朱印≠記念スタンプ」って考えだし、すべての寺院で写経までは出来ませんが、御朱印の意義を知っているからこそ、他の参拝者の迷惑にならない限りは読経もします。そうして「お参りさせていただき、ありがとうございます」「いえいえ、遠路はるばるのお参りご奇特さまです」とご縁を結びながらいただくのが御朱印じゃないんですかね? せっかくの弥勒菩薩様がこれじゃぁ……。



北野天満宮 (5月9月ともに参拝)

北野天満宮 楼門  北野天満宮 本殿  北野天満宮 御朱印

創  建:947年
主祭神:菅原道真
社  格:官幣中社、二十二社、別表神社


 北野天満宮は、言わずと知れた学問の神様、菅原道真を祀る神社です。金閣寺・龍安寺・仁和寺などからもそれほど離れていないため、時期を選ばす修学旅行生がウロウロしています(ちなみに修学旅行生は授与所でその旨を申し出ると、オリジナルしおりセットがもらえる)。とはいえ、菅原道真は最初から学問の神様として祀られていたわけではありません。国家の政務を統括していた道真は、その中央集権的な思想によって藤原氏をはじめとする有力貴族の反感を買い、藤原時平の讒言によって太宰権帥に左遷された2年後に死去しました。しかし、そのころから京都では政敵であった藤原時平や醍醐天皇といった政権者が相次いで病死、朝議中の京都御所に雷が落ち多くの死傷者を出すなどの変異が起こり始めました。当時の人々はこれを菅原道真の祟と信じ、彼の怒りを鎮めるために、火雷天神が祀られていた北野白梅町にお宮を建てたのが、北野天満宮のはじまりです。当時は天満大自在天神なんて物騒な名前で呼ばれていました。そんな背景があるからなのか、境内は社殿も含め全体的に地味で、京都市内にある他のお宮に比べると色使いもとことんシンプルにまとめられています。同じく実在の人物を神格化した神社の日光東照宮と同様、神仏習合を色濃く残しており、本殿へ至る道には楼門があります。また、境内にある宝物殿には菅原道真の半生と死後の京都に起きた天変地異を描いた国宝『北野天神縁起絵巻』が保存されており、これがまた興味深い一品です。
 御朱印は社務所で、5月9月ともに巫女さんに書いていただきました。菅原の家紋である星梅鉢と社名の御朱印に「奉拝」と日付のみ。京都の寺社の御朱印にしては素っ気ない感じですが、ここの御朱印はとても綺麗な朱色を使っていて、ちょっとお気に入りです。




下鴨神社 (5月9月ともに参拝)

下鴨神社  下鴨神社 名月管弦祭  下鴨神社 御朱印

正式名称:賀茂御祖神社
創   建:紀元前(詳細不明)
主 祭 神 :賀茂建角身命、玉依姫命
社   格:官幣大社、二十二社、勅祭社、式内社(名神大社)、山城国一宮、別表神社

 糺の森に囲まれた下鴨神社(と上賀茂神社)は、山城国一之宮です。平安京が造営された折、国民の平和を願う祈祷を行った、京都で最も歴史ある神社のひとつで、文武天皇の時代にはすでに葵祭(5月15日に行われる日本最大規模の勅祭)が執り行われていたそうです。さらに神社そのものは紀元前90年に垣根の修繕が行われたとあり、それより前から存在していたとされています。境内は上賀茂神社に比べると広くはありませんが、国宝である2つの本殿をはじめ、十二支にそれぞれお社が用意され(本殿にお参りしたあと、自分の干支の社にお参りする)、本殿と同じく玉依姫命を祀る川合神社などがあります。また神事を行う際は、境内中央にあるメイン・ステージの舞殿と小川をまたぐように建てられた橋殿を適宜使い分けています。
 そしてこの橋殿がかかる小川は、今や誰もが知る和菓子、みたらし団子発祥の地でもあります。なんでも、御手洗に浮かび上がる水泡から想を得て団子を作ったのが始まりだそう。この元祖・みたらし団子は、下鴨本通沿いにある加茂みたらし茶屋でいただくことができます。小ぶりで香ばしい焼き色がしっかりついた団子が5つ刺された串が3本、参拝後の腹ごなしにピッタリです。この5個の団子が人間の五体を表しているそうですが、そういう目で見ると“頭”の部分に刺された爪楊枝が五寸釘にしか見えません(爆)。
 御朱印は御手洗のそばにある御朱印所で、5月9月ともに巫女さんに書いていただきました。朱印は上賀茂神社のそれとまったく同じ構図ですが、下鴨神社は神紋である葵を緑色で捺します。筆遣いも上賀茂神社の丸っこいタッチとは対照的で流麗ながらも鋭さがあります。

みたらし団子     下鴨神社 月

 さて、2011年は9月12日が中秋の名月でした。京都ではお月見もまた街をあげてのイヴェントになるようで、多くの寺社がお月様を愛でる催し事を執り行います。この下鴨神社も例外ではなく名月管弦祭という例祭が毎年行われます。舞殿で宮司さんが祝詞を奏上し、神様への報告を済ませると、今度は橋殿に場所を移し、雅楽・舞楽の奉納が始まります。篝火の不均一な灯りを間接照明に照らされる橋殿で繰り広げられる伝統芸能は、その幽幻な雰囲気もあいまって魅入ってしまいます。比良木社の脇にはお茶席が設けられ、お抹茶をいただくことができます。また、参道には近隣に店を構える老舗が出張営業。豆餅で有名な出町ふたば、京菓子の名店として全国で愛される老松、もちろん加茂みたらし茶屋も出店しています。肝心のお月様ですが、この日はあいにくの曇天。こりゃちょっと期待できないかなぁ……と諦めかけたその時、雲間を裂いて見事な満月がお目見え! このあとも雲に隠れては顔をのぞかせを繰り返し、カメラマンをヤキモキさせながら橋殿の上に到達。観覧席からは感嘆の声がところどころから上がっていました。お月様に見守られながらホテルに着いた頃には、もう飲みに出かける元気なんか残っていませんでした(笑




続きます。

テーマ : 神社・仏閣巡り
ジャンル : 旅行

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